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鹿沼街道、さくら通り交差点、石川治療院です。

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[お灸ばなしあれこれ」


[お灸ばなしあれこれ」という作品を紹介します。
仏教とともに中国から伝わり、庶民の暮らしに根付き、独自な発展を遂げた「お灸」に焦点を当てた本です。
[武家]
お灸の止血効果や消毒作用を求めて武士は戦場の必需品としてお灸を携帯しました。「平家物語」「源平盛衰記」から引用があります。
また戦国武将の松永久秀は信貴山城落城の折、万が一中風が起こって、見事な切腹ができなければ、死を恐れる臆病者として、後々の笑いものになってしまうかもしれないと「百会」にお灸をするように命じたと「備前老人物語」に記されています。(タリバーンのようなことをした人で)信長がほしがっていた「平蜘蛛」という茶器を叩き割ったうえ自害しました。...
また太閤秀吉は「施薬院」を再興しましたが、側室松丸殿、正室おねにあてた手紙には、身体を氣遣ってお灸・湯治療治を勧めています。秀吉の庶民的な感情は好感が持てます。
お灸嫌いの家康、お灸好きの家光、お灸を勧める「慶安触書」等々、お灸に対する当時の認識は現在よりはるかに高い水準にありました。
[貴族とお灸]
光明皇后は施薬院と共に非田院を設置しました。「元亨釈書」にはその慈悲心が描かれています。仏教を広めていくうえでも、お灸の役割は大きかったと思われます。
また百人一首の「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思いを」以外にも多くの名歌に「もぐさやお灸」がうたわれています。私の住んでいる栃木県にまつわる歌では「下野や しめつの原の さしも草 おのが思いに 身おや焼くらむ」と激しい心情が歌われています。
[暮らしの中のお灸]
日蓮が説法で良薬と並べてお灸を引き合いに出したり、西鶴も「好色五人女」「好色一代男」のなかでお灸をすえるさまを描いています。
また近松門左衛門の実弟の岡本一包は日本における鍼灸医学に大きな足跡を残した偉人ですが「皇国名医伝」の中の兄弟の会話が微笑ましい。
「兄さんは世に珍しい才能を持っているが、していることは歌舞伎や浄瑠璃の脚本書きで、世に益のない、つまらぬことだ、大変惜しいではないか。」
これに対し門左衛門が笑っていうには、
「お前を見ていると、毎日コツコツと古典の解説書を作っている、自分の恐れるのは、後世の医学を勉強するものが、手っ取り早くお前の解説書だけを読んで、その原典を研究しなくなることだ。そんな軽率なものが医術を行うと、人の命を落とすようなことになるんじゃないか。そうであるならば、お前の書物は世の害になるぞ」
これを聞いて一包は大いに悟ることがあり、ちょうどそのころ校了寸前だった「素問」の解説書の作成を中止し、再び作ることが無かったとのことです。
芭蕉がすえた「三里」の灸、「忠臣蔵」おかるが「お灸をすえて元気な顔を見せに来て欲しい」と伝言しての悲しい別れ。
日本人がいかに「お灸」を日常的に用いて、その効能を認め、心情を語るうえで思わず口をついて出てしまうほど身近で愛されていたのかがわかります。今日でも、その火は消えることなく、せんねん灸は静かなブームです。しかし、かつては家庭の常備薬のなかに「もぐさ」があり、予防や健康維持管理として、子育ての頼れる一助として活用されていました。そのころと比べると、裾野は狭くなり、またその効能についての理解も浅くなってきているようです。
医者任せにしてしまっている身体を取り戻すのに、気持ちのよい熱さを味わい、その反応を体験し、その変化の加減をコントロールすることはとてもよいことだと思います。(もちろんラジオ体操でもジョギングでもよいのですが)お灸未体験の方にお勧めの一冊です。
(「代脈」「夏の医者」「ちしゃ医者」「がまん灸」落語もいいけど、お灸を始めるなら、こっちのほうが良いようです。)+

acupuncture and moxibustion 石川治療院

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